2010年08月18日
8月18日
8月18日
私や家族にとって大切な日。
私の大切な妹・なおかの誕生日。
そして
私は会う事が出来なかった兄・なおあきの命日。
その私達にとっての大切な8月18日のお話しをさせて頂きます。
昭和48年、私の両親は25歳の時にゼロから重寿司を鶴見駒岡で始めた。
とにかく働き、何年か経ち手も揃い少し軌道に乗り始めたころ、若い両親はそろそろ子供が欲しいと思った。
それから重寿司に昭和50年に待望の第一子の長男・なおあきが誕生。
お客さんや近所の人達にも、とにかく可愛がられ面倒を見てもらった。
また第二子長女・かおりも誕生し、仕事にも家族にも恵まれ忙しく過ごしながらも幸せな毎日を過ごしていた。
そろそろ三人目も・・・
そして、悲しい出来事が。
昭和53年8月18日、なおあき3歳6カ月お店の前の道路で、車にひかれ亡くなった。
母はショックとストレス、日々の疲れがたまり、ぼろぼろになっていた。
しかし自分に小さな命が授かっていることは、三人目だったからすぐ分かった。
一軒目の産婦人科では
「残念ながら出来ていませんよ」 と。
納得いかず二軒目の産婦人科に
「出来ていますが育っていません」と。
一度に二つの命を亡くす事は出来ないと、病院と大嫌いな注射をすすんで受けて、どうにか新しい命を引き留めてくれたお陰で、第三子次女・あかね、私が生まれたのだ。
そして、亡くなってから4年後の命日に、三女・なおかが生まれた。
一年は365日あるのにも関わらず。
私には特別な宗教感も無いが、
これは、神様のいたずらなのか、
それとも、はからいなのか。
私は後者と思っている。
きっと兄は「僕の事忘れないよう」にと、一緒の日にしたのだろう。
もし、男の子が生まれたのならば、両親は兄の生まれ変わりだと思い、姉と私どころか兄の事も気持ちが薄れてしまったのではないか、と。
重寿司は38年、同じ場所で続けています。
もしかしたら、両親は毎日見る事故現場に目を背けたい思いや辛い思いが蘇ってくるのではないかと思う。
しかし、短かい時間だったが息子との楽しい思い出や幸せな思い出も詰まっているのだろう、と。
私にとって大切な命の生死を考える日。
私の考える「食育」もここから。
私達は沢山の大切な命の集合体、そして大切な命を食べて生きていること。
みんな大切ならば、全てに感謝を持って生きよう!という事を子供たちに伝えていきたいと思っています。
今年、兄は33回忌を迎え、兄の存在を知らない方も、知っている方もいらっしゃいます。
ここで私事を報告する事や話す事は、考えものですがこれも供養なのだと思います。
人は亡くなっても、それぞれ心の中で生き続けているものです。
そして、家族の絆を強めたのも兄の存在です。
「お兄ちゃんありがとう!」
「なおか、28歳のお誕生日おめでとう!」
これまで重寿司や私達家族を支えて頂いた、沢山のお客様や周りの方達や近所の方達に心から感謝いたします。
本当にありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします。
追記
お父さんとお母さんへ
私が沢山の失敗をしても、
「命までとられる訳じゃない、あかねが生きているだけで最高!」
と、いつも言ってくれました。
二人にとって、兄を亡くしたこれ以上の悲しみはないから、寛大なのでしょう。
いつも私を支えてくれて、ありがとう。
追追記
母のお腹にいて育っていなかった私も、こんなにも肥えてしまった・・・。
私や家族にとって大切な日。
私の大切な妹・なおかの誕生日。
そして
私は会う事が出来なかった兄・なおあきの命日。
その私達にとっての大切な8月18日のお話しをさせて頂きます。
昭和48年、私の両親は25歳の時にゼロから重寿司を鶴見駒岡で始めた。
とにかく働き、何年か経ち手も揃い少し軌道に乗り始めたころ、若い両親はそろそろ子供が欲しいと思った。
それから重寿司に昭和50年に待望の第一子の長男・なおあきが誕生。
お客さんや近所の人達にも、とにかく可愛がられ面倒を見てもらった。
また第二子長女・かおりも誕生し、仕事にも家族にも恵まれ忙しく過ごしながらも幸せな毎日を過ごしていた。
そろそろ三人目も・・・
そして、悲しい出来事が。
昭和53年8月18日、なおあき3歳6カ月お店の前の道路で、車にひかれ亡くなった。
母はショックとストレス、日々の疲れがたまり、ぼろぼろになっていた。
しかし自分に小さな命が授かっていることは、三人目だったからすぐ分かった。
一軒目の産婦人科では
「残念ながら出来ていませんよ」 と。
納得いかず二軒目の産婦人科に
「出来ていますが育っていません」と。
一度に二つの命を亡くす事は出来ないと、病院と大嫌いな注射をすすんで受けて、どうにか新しい命を引き留めてくれたお陰で、第三子次女・あかね、私が生まれたのだ。
そして、亡くなってから4年後の命日に、三女・なおかが生まれた。
一年は365日あるのにも関わらず。
私には特別な宗教感も無いが、
これは、神様のいたずらなのか、
それとも、はからいなのか。
私は後者と思っている。
きっと兄は「僕の事忘れないよう」にと、一緒の日にしたのだろう。
もし、男の子が生まれたのならば、両親は兄の生まれ変わりだと思い、姉と私どころか兄の事も気持ちが薄れてしまったのではないか、と。
重寿司は38年、同じ場所で続けています。
もしかしたら、両親は毎日見る事故現場に目を背けたい思いや辛い思いが蘇ってくるのではないかと思う。
しかし、短かい時間だったが息子との楽しい思い出や幸せな思い出も詰まっているのだろう、と。
私にとって大切な命の生死を考える日。
私の考える「食育」もここから。
私達は沢山の大切な命の集合体、そして大切な命を食べて生きていること。
みんな大切ならば、全てに感謝を持って生きよう!という事を子供たちに伝えていきたいと思っています。
今年、兄は33回忌を迎え、兄の存在を知らない方も、知っている方もいらっしゃいます。
ここで私事を報告する事や話す事は、考えものですがこれも供養なのだと思います。
人は亡くなっても、それぞれ心の中で生き続けているものです。
そして、家族の絆を強めたのも兄の存在です。
「お兄ちゃんありがとう!」
「なおか、28歳のお誕生日おめでとう!」
これまで重寿司や私達家族を支えて頂いた、沢山のお客様や周りの方達や近所の方達に心から感謝いたします。
本当にありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします。
追記
お父さんとお母さんへ
私が沢山の失敗をしても、
「命までとられる訳じゃない、あかねが生きているだけで最高!」
と、いつも言ってくれました。
二人にとって、兄を亡くしたこれ以上の悲しみはないから、寛大なのでしょう。
いつも私を支えてくれて、ありがとう。
追追記
母のお腹にいて育っていなかった私も、こんなにも肥えてしまった・・・。